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臨時休校で高校や高校生に問われること

 新型コロナウィルスの感染拡大を受け、昨夕、首相から「全国の小中高校を臨時休校にする要請」が行われました。唐突感が強い発表でしたが、その是非については、ここでは問いません。

 

 3月2日以後、全国各地で間違いなく発生するのは、経済活動や社会機能の部分停止。昨日、帯広市で起こったことが【ウィルスの蔓延阻止と経済活動や社会機能の維持を両立すること】が地域課題として全ての地域で顕在化します。

 

 今回、この措置に伴う従来にない特徴として、これまで学校に囲い込まれていた高校生が地域に解放される点を指摘できます。これは高校生の「学習に対する自立性」や「地域に対する当事者性」が試されることを意味します。

 

 これまで地域と関わりながら【主体性・協働性・探究性】を発揮してきた高校生は、この事態に遭遇して、必ずや【主体性・協働性・探究性】を発揮するに相違ありません。

 

 学びに対しては自走性をもっているので、臨時休校をむしろ自分のペースで学習を進めていけるチャンスとして活用し、休校期間中に飛躍を遂げるでしょう。また、上記の地域課題に対して当事者意識をもち、どうしたら被害をトータルで最小限に食い止めることができるのかを地域の大人とともに考え、協働的に役割を発揮していくでしょう。

 

 実際、このような高校生が育っている(=高校が育ててきた)地域では、ウィルスの蔓延を防止しつつ、経済活動や社会機能の低下を最小限に食い止めることができ、絆は深まり、活力も高まり、結果的には「雨降って地固まる」の様相を示すでしょう。

 

 逆に、このような高校生が育っていない(=高校が怠ってきた)地域では、高校生は自身を勉学からも解放し、人が集まる処に出かけてウィルスの蔓延を加速させてしまうか、自宅に閉じこもってゲームに明け暮れるかしてしまうでしょう。加えて、もとより地域には無関心(‥裏を返せば地域が高校生に無関心)であるがゆえに、目前に顕在化した社会の機能低下も無関心。破綻が至る所で進行しまいます。結果、地域の活力は低下し、結果的には「雨降って崖崩れる」の様相を示すでしょう。

 

 これから数ヶ月の間に、こうした明暗がハッキリするのは必定です。それは、こうした面から高校や高校生に対して評価が下され、社会の担い手育成に対して高校がどれほどの貢献を成してきたか、白日のもとに晒されることを意味します。

 

 結果、評価が高まった高校は輝きを増し、評価が下がった高校は衰退が加速するでしょう。現段階で(通信制の高校も含めて)改革を先駆的に推進してきた高校が急速に存在感を高めている実態を考慮すると、この数ヶ月間で、高校のステータスは劇的に変化することでしょう。

 

 以上をふまえて、高校生に問いたい。「今こそ、これまで学んできたことの真価が問われる時だ」と。

 

 他方、この投稿を読んでいる中には、種々の書類に「地域課題の発見や解決に貢献できる人材の育成をめざす」と綴った高校関係者も少なくないでしょう。そんな方々に問いたい。「書類に書いたことは【建前】。今日、生徒にどんな指導をするかが【本音】なのだ」と。

 

 蛇足ながら、明言しておきます。出講のご依頼に対しては「2月28日に学校として具体的にどんな指導を行ったのか?」を問い、その内容によって諾否を判断します。

 

 最後に「今回の臨時休校は高校改革に対して東日本大震災以上のインパクトを持っている」ことを強調し、脱稿します。