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夏休みカット、フォローなき宿題、その深層にあるもの

押さえるべきは「保護者の身勝手」

 このところ、こうした問題が校種を問わず起こっている。

 

【参考】本当に子ども目線、学習者起点で考え抜いているか? 夏休みカット、フォローなき宿題(妹尾昌俊氏)

 

 その深層として押さえておくべきは「良い就職や良い進学のために点数を取らせたい」という保護者の身勝手だ。

 

 類例として指摘できるのは「良い学校に合格させるために、本当は主体性なんかどうだっていいんだけど、主体性も点数化されるらしいから、そのポイントアップにつながる教育サービスを提供してほしい」という要望だ。

 

  「主体性の開花を目的として本人に最適な学習活動を提供したら、結果として本人に最適な進学が実現する」在り方と、「序列上位校への進学を目的として、主体性を装う活動を手段として提供する」在り方の間には、天と地ほどの開きがある。

学校が外ヅラをよくする裏側にあるもの

 さて、点数を目的とする価値観と、学校に対する消費者感覚が重なると、当然の帰結として、学校は「点数というニーズに応えるべく」「外ヅラをよくする」ことになる。

 

 なぜなら、そこを外すと保護者との関係性が悪くなり、より大きな支障が他で生じるから。「外ヅラをよくする」のは、教育行政・学校・教員個人が、過激な攻撃から我が身を守るための行動なのだ。

 

 問題は、学校が「外ヅラをよくする」裏側だ。余程の情熱や力量が伴わない限り、内側では「子どもに対する管理・強制・支配」が進行する。

 

 多くの子どもはそれを敏感に見抜いて、自身を守るために「支配に従う」か、さもなくば「その場を去る」選択をする。

 

 実は、コロナ前にも、そうした指導をしている学校は容易に見抜くことができた。それは、当該校の教職員が「ウチの生徒は素直で従順なんですよ」と誇らしげに語る姿だ。

 

 そして、こうした在り方が、自校だけではなく、あるレベルを超えて広い範囲で共有されると、保護者も教職員も、もはやそれが異常なのだという自覚さえ持てなくなる。だから「誇らしく」語るのだ。

 

 ましてや、教職員自身もそうした環境下で育ってきたならば‥。

それは「児童虐待」と類似の構図 ‥ だからこそ

 ここまで書けば、お気づきになる方も少なくないと思うが、臨時休校に伴う種々の悩ましい事象は「児童虐待と類似の構図」によって引き起こされている。


 奇しくも今回、この様子を『教育虐待』として問題提起する声も起こっているが、それはコロナ前にすっかり浸透・定着していた意識や在り方を理解すれば「必然的に起こったこと」と整理がつくだろう。

 

 また、今回の件は「元々あった悩ましい構図がコロナによって白日の下に晒されただけに過ぎない」ということもできよう。

 

 たしかに、学校の側にも改めるべき部分は多い。しかし、控えめに言ってそれと同じ程度には、保護者の側にも改めるべき部分は多い。

 

 今こそ、子どもに関わる全ての大人が、何が真に「子どもの笑顔」につながるのか、自身の在り方を深くふりかえるべき時だと思う。

 

 もういいかげん、襟を正そうではないか。