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今「自分らしく社会に参加するための学び」を切り捨ててよいか?

 今日の午前は、佐渡・羽茂高校の 1年生にオンライン講演でした。

 

 探究や地域協働に対して、管理職も 先生方も 地元も前向きな学校。昨年度から着々と準備を進め、コロナがなければ 5月初頭に訪問するはずでした。

 

 実は、新潟県は月末まで臨時休校が続き、1年生は今日、週1回の登校日。私の講演など軽く吹き飛んでも不思議ありませんでした。しかし、そんな貴重な1日のうち、2時間を地域探究に充てる判断をされ、私の講演は当初の計画から少し遅れたものの、実施されたのです。

 

 準備の段階で、年間計画や今日のワークシートを拝見したところ、私の講演後には「今日のテーマ:探究のスタート地点 自分は何に興味を持っているか」を深める流れになっていました。

 

 そこで、いくつか提示できるストーリーのうち「自分らしく社会に参加する練習」を打ち出すこととし、スライドも「個別最適化」を「自分らしく生き」るに書き換えました。

 

 

 先刻、感想の抜粋が届きましたが、「自分らしく」が刺さっていた様子が伝わり、安堵しました。

 

 実は、これは新学習指導要領の「育成をめざす資質・能力」に掲げられた3本柱のうち、「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか(学びに向かう力・人間性等)」に該当する部分。

 

 羽茂高校のように、コロナ情勢下にあっても、「総合的な探究の時間」や学校設定教科「地域探究」を通して、探究や地域連携をキチンと進め、自分・社会・教科・進路を丁寧につなげる機会を保障をする学校。

 

 コロナ情勢下にあっては「それどころではない」と、臨時休校中も学校再開後も、探究や地域連携を真っ先に切り捨て、朝から夕方まで普通科目の集中砲火を続け、自分・社会・教科・進路を丁寧につなげる機会を奪う学校。

 

 「学びを保障する」とは何か、もう少し深く考えてみる必要があるのではないでしょうか?