今週、種々の会議に出席や傍聴をする中で実感したのは「どの省庁も全く同じことを語っているではないか!」ということ。
地方や現場には縦のルートで同じ趣旨の内容が届いているはずなので、それを理解&尊重できれば、各レベルで連携は進むはず。
しかし、現場に近づけば近づくほど、連携や協働は全く進まない。そして、そのような地域にむけて、この先いくら「連携・協働すべき」と叫んでみたところで、事態が好転するとも思えない。‥おそらくその前に地域は消滅するに相違ない。
あれこれ思索し、「連携や協働が機能している未来から現在を見る視点をもちえた後に「!」と思ったのは‥
- 現在から未来を見て「連携や協働が実現した社会」と捉えるよりも、未来から現在を見て「分断や孤立が随所で起こっている社会」と捉えた方が、事の本質をより端的に把握できる。
- いま連携に踏み出せない人とは、社会につながる力を持てていない人であり、社会的に孤立している人である。‥その身分は行政職員や教職員かもしれないが。
- 国など政策立案者が現場に「~べき論」を下ろすのは、現に社会から孤立している人に向かって「つながれ」「社会に参加しろ」と自助を求めているのと同じ。
- それゆえ、期待と現実の乖離を防ぐには、これは「社会的に孤立」している人々に対する「社会的な包摂」の問題と捉えるのが妥当。
- 換言すれば、現に孤立している人々に対して「多様な者どうしつながって連携を」と求めるアプローチよりも、「孤立している人々を包摂して多様性を高める」アプローチを採用した方が、より効果的であり、より多くの人を救える可能性が高い。
ということです。このように見方を変えることで、少し気持ちが楽になりました。